2007年05月04日

再就職活動を開始

ぼくの年収は一番多かったときと比べて80万円ほど下がってしまった。一番多かったとき、ぼくにはまだ最低の肩書すらなかった。

最後の職場は毎年のように人員が削減された。異動したばかりの頃は、15人ほどいた。正社員ばかりじゃなく、他の会社の従業員も4、5人いた。

それがぼくの配置転換後は、4人に。その年だけでも、5人がその職場を離れた。転勤がぼくを含めて4人、ひとりが退職。転勤した者のうち2人がほどなく退職した。ぼくもそのうちのひとり。

そしてぼくが辞めた後、またひとりその職場を去るものが。ぼくの上司だった人で、その職場の長。定年まで後2年だった。

ぼくは冷静に考える。ぼくの転勤の一番の目的は人減らし。欠員が生じた部署の補充はその後に決定されたもの。人減らしありき。

打診があったのは、1月半前。ぼくの直属の上司の公休日だった。ぼくの部署を担当する本社の部長から、ひとりで事務所をやってくれないか。そう切り出された。

ぼくはきっぱりと断った。ひとりでやるということは、朝一番から最後まで休憩時間もなく、しかも事業所が休みの日以外は休めないことになる。

つまり人減らしがしたかっただけ。ぼくは定期異動から2か月遅れて、辞令をもらった。その日ぼくは夕方まで外回りをしてた。給料の締日の前日。そして異動日は締日明け。

「お世話になりました。」ぼくの帰りを待ってた取締役がぼくの机の上の辞令を指し示し、開口一番別れの一言。ぼくはそう解釈した。辞令を交付する上司が部下に向かっていう言葉じゃない。

そしてぼくは異動日の前日、70km以上も離れた新しい職場へ。1日も出勤することなく退職届を提出。

旧部署の人減らしがしたかっただけなら、近くに6つも7つも事業所がある。にも関わらず、あえて最も遠く離れた事業所に転勤を命じたということの意味。

ぼくはためらわず次の道を選択した。
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posted by ラウド at 20:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

失業生活は必然か

取締役の数はそのまま。役員用の社用車もそのまま。従業員が使っていた社用車は廃止して自家用車を借り上げ。

企業スポーツは存続。従業員の給料を一旦下げるだけではなく、将来に渡ってまでも昇給の機会を大幅に奪う。

順番がまったく逆。一番最後に削るのが従業員の給料。それを一番最初に。

同族が経営すると、こんなとんでもないこと平気でやらかすようになる。こんなんで、高いモチベーション保てるわけがない。

それでも、会社は以前と変わりなく回ってる。悪いのは経営者ばかりじゃない。従業員の意識にも問題が。こんなこと認めてたら、やがて大きな歪みが生ずるようになる。いつまでも、どんなときでも従業員は思うようになる。とても危険な発想。

気に入らなければ、辞めてもらって結構。こんな風潮が社内に漂い始めてる。正社員がいなくなれば、その分はアルバイトで。願ったり叶ったりといわんばかり。

でも、忘れちゃいけない。少し前までは、辞めるを口にすれば、役員までが必死で慰留に努めていた頃のことを。募集担当者が人材確保のために地元や隣県の高校を回っていたときのことを。
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2007年05月02日

賃金規程は将来に希望が

スポーツはどんなことがあっても止められない。それを決定付ける出来事が。新たな動きが始まった。

賃金規程の改訂。説明会が催される。画期的な改変。将来に希望の持てる、というのがそのうたい文句だった。

昇給は40歳まででストップ。41歳から50歳までは増減なし。51歳から60歳の定年までは、毎年一定額逓減。各種手当てはよくて半減、5分の1になるものも。そして廃止や部署による支給の差別化まで。

この改訂により、月額3万円から5万円が降給。40を過ぎたら、昇進する以外給料を増やす道は絶たれてしまう。労働者人生40年のうち最初の半分までしか昇給がなく、最後の4分の1は毎年減っていく。

40までで昇給をストップした理由が現実離れしてる。他人事だったら、思いっ切り笑えるところかも。何と40を過ぎたら、家庭の出費が減るのだそうな。

18でひとりだけ子供をもうけたのなら、ぎりぎり大学も卒業してるかもしれないけど、そんな人いる?

35で初めての子を授かるなんて珍しくもない昨今。これじゃ、小学校に入学する前に昇給が止まってる。

どこに将来に希望が持てるの?たったひとりで説明した、役員でも何でもない部長は、さぞ苦しかったことだろう。

従順な従業員は質問はしても、異議をとなえる勇気がない。つまり同意させられてしまったことに。

やがて中堅社員がぽつりぽつりと辞めていく。でも、これがいけない。長の肩書の付く者が一遍に辞めないから、会社には危機感が…
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2007年05月01日

再就職活動の始まり?

時は流れ、世の中の情勢も随分と様変わりした。毎年のように営業所を増やす時代はやがて終わりに。そして淘汰の時代が到来。やがて営業所の減少が始まった。

毎年世間並みにあった昇給にかげりが。ひどい人は一月の昇給額が400円、500円の世界に。こんな状況なので、当然賞与にも影響が。年収が1万円も上がらないどころか、賞与の減少でダウンした人も珍しくない。

そんな中でもにわかに進出した企業スポーツからは撤退することもしない。同じリーグに所属する大企業がどんどん休部、廃部しても、経営者は頑として姿勢を変えない。

それどころか、撤退を進言する役員すらいない。彼らは所詮取締役という名の労働者でしかない。雇われている以上、トップに嫌われることは絶対に口にしない。

初期の頃は大型バスをチャーターし、従業員を募り、応援に繰り出していた。従業員の負担は少額で、遠征先もそれほど遠くはなかった。

それが撤退が相次ぎ、チーム数が減少。そのため東西に別れていたリーグはひとつに。必然的に遠征先は遠くなる。応援ツアーはいつの間にか消滅。地元以外で応援に参加するのは、役員と土日が公休の本社の従業員だけ。しかも費用は全部本人負担で。
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2007年04月29日

失業は偶然から

20年勤めた会社。偶然といえば、語弊があるけど、ちょっとした弾みで入った会社だったので、特に期待することもなければ、野心もなかった。

失業中だったので、取り敢えずアルバイトでも。それだけの気持ちで働き始め、3か月後に正社員に。当時はそれこそ就職市場は今とは、かなり違ってた。ぼくから尋ねたわけでも、頼み込んだわけでもない。会社の方から声をかけてきた。

ぼくは大学も中退してたし、その後もひとつの会社で働いてたわけじゃない。アルバイトも転々としてた。履歴書には何ひとつ誇れるものはなかった。それでも声が…

ひとつには、ぼくが入った会社は社員の定着率が悪く、入れても入れても一方ではそれと同じか、それ以上に出ていってしまう。

そんな状況もあって、どんどん人をかき集める必要に迫られてたこともあったのかもしれない。それはその会社特有の問題じゃなく、その業界全体がそんな状況だった。

ぼくが中途で入社した年の新入社員は50人ほどいた。全社員が220人か230人の会社にすれば、かなりの採用率。会社自体が大きくなっていたこともあるけど、それでも普通じゃない。

でも、驚くのは、まだ早かった。研修期間に2、3人が脱落し、夏までには更にその倍ぐらいが。そして1年後には、半分。3年後には同期入社は2、3人に。この状況決して特異なケースじゃない。

こんな状況だから、ぼくにも声が。
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posted by ラウド at 20:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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